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現行民法のルール
「相殺」とは、2人が互いに同種の目的をもつ債権を有する場合に、実際にお金の受け渡しをすることなく同じ額だけ債権を消滅させることをいいます。
相殺をするためには、双方の債権について債務の弁済期が来ていることが必要です。
弁済期が来ていないのに相殺できるとすると、弁済期前の支払いを強制することになるからです。
相殺は、当事者の一方の意思表示によって行います。
双方の債権についての弁済期が来て相殺できる状態になることを相殺適状といいますが、相殺適状になったからといって自動的に相殺されるわけではないということです。
互いの債権が消滅するという相殺の効力は、相殺の意思表示のときではなく相殺適状になったときにさかのぼって生じます。
相殺の意思表示をするとき、条件や期限をつけることはできません。
何月何日までに返済をしなければ相殺するというような意思表示はできないということです。
ただし、当事者の合意にもとづいて相殺する(相殺契約を結ぶ)場合には、相殺に条件や期限をつけることができるとされています。
変更点
(1)相殺の禁止・制限の規定の表現を変更
現行民法では、当事者が相殺をすることを禁止したり、制限したりすることを認めています。
しかし、禁止や制限のことを「反対の意思」と表現しているため、少しわかりにくい規定になっています。
また、当事者が相殺を禁止または制限しても、そのことを知らない第三者には対抗できない(禁止または制限していることを主張できない)ことを定めています。
条文では知らなかったことに過失があったかどうかを問題にしていませんが、知らなかったことに重大な過失がある第三者は保護する必要がないため、相殺の禁止や制限を対抗することができると考えられています。
知らないことを善意、知っていることを悪意といいます。
第三者が善意であるかが争いになった場合に、善意であることを立証する責任が第三者にあるのか、それとも悪意であることを立証する責任が債務者にあるのかについて、現行民法の規定からは明らかではありませんでした。
改正民法では、「反対の意思」を「相殺を禁止し、又は制限する旨の意思」という表現に改めることでわかりやすい規定にしました。
また、悪意の第三者だけでなく善意でも重大な過失がある第三者に対しては相殺の禁止または制限を主張できることになり、一般的な考え方が明文化されました。
さらに、改正民法の規定の仕方によって、第三者の悪意または重過失を立証する責任は、相殺の禁止または制限を主張する側である債務者にあることが明確になりました。
(2)不法行為に関する相殺禁止の規定の見直し
相殺の対象となる2つの債権のうち、相殺の意思表示をする人がもっている債権を自働債権、意思表示を受ける人がもっている債権を受働債権といいます。
現行民法は、受働債権が不法行為によって生じたものであるときの相殺を禁止しています。
受働債権は、相殺の意思表示をする人から考えると自分の債務にあたり、加害者が負っている不法行為の損害賠償債務と被害者に対してもっている債権を加害者の意思表示によって相殺できないということです。
現行民法の下では、受働債権が不法行為によって生じた場合には、例外なく相殺することができません。
この規定は、弁済を受けられない債権者がわざと不法行為をするのを防ぐことと、被害者に実際にお金を受け取らせて被害を回復させることという2つの趣旨があります。
しかし、受働債権が不法行為によって生じた場合であっても、事情によっては相殺を認めるべき場合もあります。
そこで、改正民法は相殺を禁止する範囲を限定しました。
悪意による不法行為によって生じた損害賠償請求権、人の生命または身体を侵害したことによって生じた損害賠償請求権を受働債権とする相殺のみを禁止することが定められています。
この規定は、現行民法が不法行為によって生じた受働債権の相殺を禁止していた趣旨に対応するものになっています。
弁済を受けられない債権者がわざと不法行為をするのを防ぐためであれば、過失による不法行為は該当しないので、悪意による不法行為によって生じた損害賠償請求権を受働債権とする相殺を禁止しています。
また、生命または身体を侵害された被害者には実際にお金を受け取らせる必要があるため、人の生命または身体を侵害したことによって生じた損害賠償請求権を受働債権とする相殺を禁止しています。
この2つにあてはまらない場合には、不法行為によって生じた債権を受働債権とする相殺が認められることになるため、現行民法とは大きく異なります。
なお、不法行為にかぎらず、債務不履行によって人の生命または身体を侵害した場合にもこの規定の適用があり、それによって生じた損害賠償請求権を受働債権とする相殺をすることはできません。
(3)差押えに関する相殺禁止の規定の見直し
現行民法では、支払いの差止めを受けた債権を受働債権、支払いの差止めを受けた後に取得した債権を自働債権とする相殺を禁止しています。
このように、条文上は支払いの差止めを受ける前に取得した債権を自働債権とする相殺であれば、自働債権と受働債権の弁済期の先後にかかわらず認められることになっています。
しかし、自働債権の弁済期が受働債権の弁済期よりも前に到来する場合のみ相殺を認めるとする裁判所の判例がありました。
その後、判例変更があり、自働債権と受働債権の弁済期の先後を問わず相殺を認めることとなりました。
改正民法では、現行民法の支払いの差止めという抽象的でわかりにくい表現を「差押え」という具体的な表現に改めました。
また、差押え前に取得した債権を自働債権とする相殺ができると定め、弁済期については特に規定していないため、自働債権と受働債権の弁済期の先後を問わず相殺を認めた変更後の判例を明文化したものであるといえます。
差押え後に取得した債権を自働債権として相殺できる例外的な場合についても規定しました。
取得したのは差押え後でも、差押え前の原因にもとづいて生じた債権である場合です。
ただし、その場合でも差押え後に他人から取得した債権を自働債権とする相殺は認められません。
差押え前に生じた債権や差押え前の原因にもとづいて生じた債権を自働債権とする相殺を認めているのは、相殺できるという債務者の期待を保護するためであるところ、差押え後に他人から債権を取得した場合にはこの趣旨があてはまらないからです。
契約書への影響
(1)契約書に相殺禁止条項や相殺制限条項を入れることができます。
改正によって条文の表現が「反対の意思」から「相殺を禁止し、又は制限する旨の意思」に変わりましたが、これにともなって規定の内容を変更する必要はありません。
(2)不法行為に関する相殺禁止について契約書に記載することはないため、契約書への影響はありません。
(3)差押えに関する相殺禁止について契約書に記載することはないため、契約書への影響はありません。
いつから適用になるか
改正民法は2020年4月1日に施行されることになっており、この日を施行日といいます。
相殺の禁止または制限の意思表示をした日が施行日前であれば現行民法が適用され、施行日以後であれば改正民法が適用されます。
不法行為や差押えに関する相殺禁止の規定は、施行日前に受働債権が発生した場合には現行民法、施行日以後に受働債権が発生した場合には改正民法が適用されます。